「松本楼」は明治36年日比谷公園の
誕生と同時にオープン。マンサード屋根
3階建ての洒落たお店は当時ハイカラで
「松本楼で、カレーを食べてコーヒーを飲む」事は
当時の庶民のあこがれだったようです。
また、明治の文人、美術家などが集まり
サロン的な役割も果たしていました。
漱石、高村光太郎も、ここで憩ったそうです。
日比谷公園が政治の舞台となると
この松本楼のバルコニーも演説の壇上と
なったり、その一躍を担ったのです。
また、革命家、孫文がここを訪れ、妻・宋慶齢が
経営者と親しかったいきさつから、現在もゆかりの
ピアノが展示してあります。
昭和46年秋、沖縄デーの大混乱の中、放火により
炎上した松本楼でしたが、昭和48年9月には再建
平成15年には日比谷公園開園100周年と共に
松本楼も創業100周年を迎えたのでした。
私の尊敬する日比谷公園の設計者「本多静六」が
首をかけて移植した大銀杏は、この松本楼のすぐ
横にあり、その緑はテラス席に丁度良い日陰を
作っていました。樹齢500年の大木の側で
松本楼自慢のデミグラスソースのかかった
オムライスやランチメニューを頂きました。
今やレトルトにもなって何処でも味わえる松本楼の
洋食も明治36年当時は、誠に珍しくハイカラで
あった事に思いを寄せ銀杏の大木を眺め念願の
一時を過ごす事が出来ました。
6月13日(土)東京散歩
ランチの後、日比谷公園を散策
開園当初からある馬の水飲みや
今を盛りに咲く紫陽花を
眺めます。


江戸時代までは大名屋敷が並んでいたこの地域
明治時代に大火があり、その跡地に
外務省・海軍省などが置かれたことをきっかけに
官公庁施設の集積地となり霞ヶ関団地の
官公庁施設と呼ばれるようになりました。
その後も計画的な整備が進められ現在のような
官庁街になり、これが転じて「霞ヶ関」という言葉が
「日本の中央官界」の代名詞として使われているのです。


なだらかな坂の上にある国会議事堂です。土曜日なので中の見学は出来ず残念です。
こちらは衆議院第2別館です。
この旅の当初の目的は宝塚で観劇する事の
出来なかった宙組公演を東京宝塚劇場で
観劇する事でした。
しかし、せっかく上京するので、夫も一緒に
色々な事をまとめて楽しむ事になり
盛りだくさんな旅になりました。
まず、広島をのぞみで出発、今夜宿泊の
ロイヤルパーク汐留に荷物を置いて
新橋〜日比谷まで歩きます。






日比谷公園、霞門からすぐに見えてくる
→「弁護士会館」をスタートに官庁街を
ほぼ一周する霞ヶ関散歩をスタートします。
途中、警視庁など警備の厳しい眼差しを
感じた省庁は写真に撮ることができませんでした。






新橋は日本初の旅客列車
新橋〜横浜間が発着した場所
記念の蒸気機関車を見ながら東京散歩を
始めます。

日比谷までは食前の良い運動になりました。
以前から必ず訪れたいと思っていた
日比谷公園内にある歴史ある
洋食レストラン「松本楼」でランチします。
日比谷公園の噴水に別れを告げます。


日比谷公園霞門に帰ってきました。
赤煉瓦棟と言われている法務省旧本館
警視庁の先に見える桜田門から皇居に入ります。
最近、皇居は人気のランニングコースになっていて炎天下にもかかわらず
たくさんの人が走っていました。
総務省




財務省
文部科学省
こちらは、開園当初からの面影を残す
ドイツ式庭園様式の池「雲形池」です。
中央にあるのは、はばたく「鶴の噴水」
この池、たくさんの亀が甲羅干しを
していました。


帝国ホテルのロビーで夫とお別れ、これから東京宝塚劇場に向かい
私は一人、夢の世界に浸ります。
こちらが、まだ新しい総理官邸
この雲形池からすぐの所に
公園の「霞門」があり、そこからは
霞ヶ関の省庁が目と鼻の先である事から
夫がいつも出張で訪れる霞ヶ関方面を
案内してくれると言うので、散歩をさらに
続ける事にしました。